kagura 10周年特別企画「10年のあゆみ」 -第3回・念願のファイナル進出。”道具”へのこだわり。-
名古屋市中区にある日本三大観音の一つ「大須観音」
大須観音には古来より守神として、鬼面が祀られていると伝えられています。
芸どころ・名古屋の芸達者達が、鬼面を祀り、鬼と共に舞い踊る、盛大な祭りを繰り広げます。
kaguraとして初めて“群舞”を意識した作品です。
個々の踊りのスキルで魅せるだけでなく、全体が1つになるような振り付けや衣装になっています。
また、kaguraには珍しく、最後まで激しく盛り上がり続ける曲になっています。
つまり踊り手はラストにかけて追い打ちをかけるように体力が消耗されます。
練習中、「まだまだ~!」「いけ~!」と高校生の運動部かのような声の掛け合いがよく見られ、スポ魂的な団結をしていました。
多彩なお手製道具たちが登場!
当時、kaguraは男性メンバーが多く、チーム男女比がほぼ1:1。
さらに理系出身の男性陣が多くて、みんなモノを作るのがとても得意!
この頃に数々のお手製道具が製作され、今のkaguraにもこだわりが受け継がれています。
低コストでたくさん作れるよう、ひたすら試作を繰り返して、傘も風圧で壊れないようにしっかり補強。
アイディア出しと作業に膨大な時間を使いました。
中でも特に力作だったのが、通称”門”。
大きな仕掛けをするノウハウもなく、頑張ってアイディアを捻り出した結果があの大きな仕掛けでした。
とにかく、いろんな意味で大変だった。。。
特に風には弱く、どまつり前夜祭演舞後の集合中に、突風に吹かれて門がまさかの損傷。
本祭を目前に徹夜で大がかりな修復作業が始まりました。
祭り中も交代で作業をし、なんとか審査パレードに間に合わせることができたのは、ファイナルへの執念としか言いようがありません。
夏休み返上で道具製作
祀鬼祭は先に書いた通り道具の種類がとても多く、毎週末は道具の製作会を開いていました。
道具スタッフを中心にスケジュールを立てても集まれるメンバーはほぼ決まってきてしまう。
常に時間が足りない!人手が足りない!と頭を悩ませる1年でした。
保管場所近くの作業場所での癒しは、公園に遊びにきた近所の小学校の子供たち!
毎日一緒に走り回って遊んでいたところ家族ぐるみで仲良くなり、どまつり当日はわざわざ会場まで応援に駆けつけてくれました。
(元気にしてるかなあ〜)
初のどまつりファイナルコンテスト出場!
前年のどまつりで悔しい思いをしてから1年、「ファイナルコンテストへ進出すること」のみを考えて活動してきました。
作品製作のスタッフ陣はひたすら変更・修正・改善を繰り返し、良い作品になるよう仕上げました。
また、チームである以上、必ず直面するメンバー間のやる気の温度差問題。
大学1年生の若い世代も同期内の温度差を気にし始め、自主的に「練習行こうよ」と声を掛け合う意識には感動した記憶があります。
前年にも増して自信をつけて挑んだどまつり。
同じ審査ブロックには、ファイナル常連チームや有名老舗チームもいましたが、彼らに打ち勝ち、悲願のファイナルコンテスト進出決定!
結果を知らせる電話が鳴った瞬間、全員が息をひそめ、代表のあげたガッツポーズに皆が歓喜の叫びをあげました。
その後は記憶にないくらいテンションを上げたままファイナルステージを迎え、キラキラと輝く夢の舞台で精一杯の踊りを披露しました。
演舞前に、踊るからには大賞を!と代表が語って鼓舞するも、私たちが目指すには少々大きすぎました。
“大賞”という次の目標が見えた時でした。
東京へ行こう!
どまつりの後は、仙台の“みちのくYOSAKOI祭り”か、はたまた三重の“安濃津よさこい”どちらに参加するか決めるミーティングで、“東京よさこい”も同日にあると知る kagura一同。
「東京」という響きにあこがれを抱くミーハーなメンバーが多かったようで、多数決により東京よさこいへ参加することに決めました。
東海地区外の祭りへの遠征は少ないので、道中はチーム旅行のようにワイワイ楽しみながらチャーターバスで向かいました。
どまつりチームはほとんど参加しておらず、観客の方々にも他チームさんにも目新しいチーム・作風を楽しんでもらえたようでした。
そして、ただただ驚きましたが、なんと金賞受賞!とても良い思い出を頂きました。
東京よさこいの後、審査のあるお祭りでは、3月の”浜松がんこ祭り”で2位となる浜松市長賞、4月の”どまつり夜桜in岡崎”で準大賞をいただき、勢いのあるチームとして認識されるようになりました。
大賞も見えてきた!強いチームになりたい!と次の作品を練り上げていきます。
でもそこからが遠いんですよね。結成4年目、ドラマは続きます。
以上、第3回でした。第4回はタイトルの漢字が難しい、あの作品です。お楽しみに〜